旅|薄墨桜&濃尾地震

ネットで4月6日(土)の満開情報を確認し、9日に何十年ぶりか訪れました。土日は大渋滞らしく、平日しかも早朝7時は現地着がいい、聞きました。
■薄墨桜
火曜の朝7時は老大木の前に佇みました。前回は葉桜だったので、満開は初です。朝の張りつめた空気、清み渡った青空に凛として咲き誇っています。観光客は、まだ数十人程度。満喫できました。10日朝行けば、湯化粧の薄墨桜のようでした。
碑をみると、樹齢1500年と。えっ? 老木に若い根を継ぐなどして、懸命に延命を計っています。伝説では、継体天皇が京に上るときの記念樹とか。
駐車場は8~18時が有料で、時間外は開放。早起きは、得ですね。

■濃尾地震
薄墨桜から南へ2.2kmほどに、“地震断層観察館”がります。帰りに寄りました。地震時の根尾谷断層をまたぐようにして建設されています。6Mを超える断層のスレを確認できるトレンチ、当時の写真など資料が展示されています。
濃尾地震は、1891年(明治24年)10月28日に濃尾地方で発生した、日本史上最大の内陸地殻内地震です。マグニチュード(M)8.0の直下型地震、朝の‎6時38分50秒でした。「根尾谷断層帯」が活動し、6Mもの隆起がありました。 美濃・尾張に甚大な被害をもたらしました。広い範囲にわたり、木造家屋が壊滅しました。

■コンドルの視察
ジョサイアコンドルは、1884年(明治17)まで工部大学校の建家学科のお雇い外人教授でした。その後、民間で設計活動をしました。震災後、請われて視察に行き、地震の凄まじさに驚嘆したようです。鉄筋コンクーリト・モルタル・壁のないことと共に、日本家屋には斜め材がないことが大きな原因と見たようです。この辺りから、筋違の必要性が出てきました。

■伊勢湾台風
1959年9月26日潮岬に上陸し、全国に大きな被害を及ぼしました(死者・行方不明5,098人、全壊・半壊住家153,890棟)。満潮と重なった伊勢湾沿岸では、高潮は内陸部まで押し寄せ、風・雨と共に被害が特に甚大でした。
日本建築学会では、10月13日の理事会で日本学術会議に対し意見書を出し、「火災、風水害防止のための木造禁止」をあげました。10月25日には学会京都本大会で「防火、耐風水害のための木造禁止」を満場一致で決議しました。のち、2010年7月に補足説明がりました。
恐怖・脅威に対しあわてふためくのは、よくあります。大きな災害が科学技術の発展を促していきます。東海地方を襲った災害の建築強度・構法への大きな影響2題です。

■お日待ち
次は、民の知恵です。震災直後、火事や窃盗がままありました。自然出火もあったでしょうが、愉快犯や火事場泥棒です。それに対しすぐ自警団がつくられ、組ごとに夜を徹し見回りました。お日様の登場で、その日は解散です。それで、“お日待ち”とついたと姉から聞きました。岐阜市北部の田舎の話です。とてもいいネーミングですね。
いまでも年に1回開催されています。ほとんど“飲み会”となり、近くの宴会場で開催です。私が小さい頃は、当番の家で準備がなされ、宴会でした。茶碗蒸しの銀杏を七輪で焼いたり、酒の熱燗を何十本もしたりと応援でした。飲んで和む形だけが、残っています。