子育て住宅|世襲・跡継 ②職人

司馬遼太郎著「この国のかたち 二」の”39 職人”の始めです。
 「職人。じつにひびきがいい。そういう語感は、じつは日本文化そのものに根ざしているように思われるのである。
 日本は、世界でもめずらしいほど職人を尊ぶ文化を保ちつづけてきたが、そういうあたり、近隣の歴史的中国や歴史的韓国が必要以上にいやしめてきたことにくらべ、”重職主義”の文化だったとさえいいたくなる。」

■建築職人
 建築界には、職人がいっぱいいます。1960年ごろまで、木造住宅は、大工、左官、瓦・畳・建具職人だけでつくっていました。大規模化、ビル化、新工法・新建材の登場、建設会社・工務店のような組織化が進み、現場監督・作業員といった職種が増えました。それでも、味のあるいい建築ほど熟練の職人が活躍しています。
 例えば左官は、全国各地に腕のいい職人がいっぱいいます。東海地方だと、高山の挟土秀平さん、伊勢の西川和也さん、四日市の松木憲司さんが有名ですね。

■職人の修行例
 9月初め、Webセミナーで久住有生さんの講演会(2015.04.17)を聴きました。淡路島の左官一家に生まれ、2代目久住章さん(有名人です)の子、三代目です。売れっ子で、今では拠点を東京に置いています。
 ご本人の話です。親の意向で、3歳から土壁の練習を始める。小学2・3年から本気で取り組む。夏休みには現場に行き、砂振るいをし、押入ならいいだろうと壁塗りを言われる。毎日コテ塗りの練習をして、終えると夕食。勉強は無駄だと言われた。高校の時、ケーキ屋でバイトして早速認められる。親への反発もああって、ケーキ屋になるため専門学校に行きたいと、親に言うも却下。高卒後、20万円やるからヨーロッパへ行ってこいと。ガウディに大感動。現場では行くところ行くところで、お父さんは凄いな、と言われる。コテ上手くなりたい。普通にやっては、そんなに上手くならない。2年間、毎日20時間壁に向かう。左官は死んでも残る。左官で一番になりたい、と。22歳で弟子を5人採る。24歳で数寄屋の現場に。材にこだわり、手間かけて左官をする。
 結果をみれば、幸せな環境だったように思えます。が、凄まじいですね。

■修行環境
 職人技といわれるように、職人の資質には身体性が、特に道具を使う手の触感など五感や腕・足腰の鍛錬が大事です。ピアノなど楽器の習得と同じように、3~5歳から身に付けるのがベターです。職人の家庭なら、家や作業小屋で親の仕事を見て・手伝い・真似て覚える環境があります。が、実際には難しいでしょう。親が誇りをもって跡を継がせるという強い意志が要ります。年齢に合う作業を用意し、休みには現場を体験させることは、よほど熱心でないとできません。子どもには自由な外遊びも大事です。勉強は学校でというものの、周りは偏差値競争のただ中です。それでも職人家系なら、親の跡を継ぎ世襲して仕事を新たにしていくことは可能です。名人になる可能性も高いでしょう。
 親の職業が別で、たまたま出かけ時に見た情景とか、ネット情報なんかで職人になりたいと思う人は、どうでしょうか。関心ある以上、感覚や身体は幾分でも準備ができているでしょう。高校もしくは大学を卒業してとなると、遅いような気がします。在学中にアルバイトでの体験は役立つでしょう。就職して草々、好奇心を持ち寝食忘れるほどの鍛錬を積めば(10,000時間~)、力がつきます。いい親方と仕事に恵まれることが条件になりますが。上手くいけば、こちらは暖簾分けの形をとる準世襲ですね。

■職人時間と地位
 身体性の表現でもある職人技は、能力を若い時に爆発させるスポーツとはかなり違い、熟成・円熟ということばが似合いそうです。若くして評価を得る人がいますが、圧倒的には地味な下積みが要ります。時間が、人と技を磨くのですね。
 以下、初めの司馬遼太郎著の中からです。
 「・・・かといって職人一般の地位が他の国の社会にくらべとくに高かったわけではない。ただ名人上手になれば、尊崇をえたということなのである。」
 「そういう”評判”こそ職人の生き甲斐で、またそれを職人好きの世間がささえていたのである。落語の主人公をもふくめた多くの職人たちは、そういう無償の名誉を生活の目標にして生きた。
「職人を尊ぶ国」
と、日本痛のフランク・ギブニー氏がいったが、日本社会の原型的な特徴といっていい。」

脇田 幸三

建築家 株式会社綜設計代表
岐阜市生れ 名古屋市在住
1989年11月綜設計設立
主に住宅・マンション・医院を設計
名古屋工業大学大学院修了
テーマ:“大きな人を育て、大きな人生を歩む”住まい
趣味:読書、朝のランニング