木の家|家相・風水―自己未確立な人への応援歌

■家相・風水は正しいの?
家づくりを進めようとすると、家相・風水のことが頭をかすめたり、お節介な親戚縁者や友人・知人が家相・風水を語りはじめます。みんながやっているとか、親切なアドバイスについつい耳を傾けます。怪しいと思ってわが道をゆくか、深みにはまるか、どっちかです。
で、正しいでしょうか?
科学的には、まったくナンセンスです。古代の叡智とかいっても、似非科学です。話のタネに楽しむ程度の内容です。でも、膨大な情報が雑誌・本やインターネットに氾濫しています。いくらかは、正しいのでは? と思ってしまうほどです。もともと地形・気候や天体の動きといった環境を基につくられたルールですから、常識的にそうかなと思う部分や、経験的に十に一つや二つ当たっていることがあります。とはいえ、たくさんある体系は、砂上の楼閣です。

では、なぜ流行り話題になるかといえば、求める人がいるからです。身近に不幸をいくつも経験したり聞いたたり、歩みのなかで挫折を味わったり、やることなすことに迷い・悩みが多いとか、自分に自信を持てないとか、マイナス思考で前向きに生きれないとか、といった人には、何か頼れるものが欲しいものです。家をたてるとき、専門的なことはプロに任せるにしても、何かしら自分を主張したい。そんなとき、家相・風水はもってこいです。自分の考え方・生き方がしっかりしていれば、聞き流す話です。自己が未確立なひとへの応援歌でしかありません。神社・お寺のお参りしたり、幸福グッヅを集めたり、家の形を整えるのは、もちろん間違っていません。ただ、それで終わるのではなくて、その先ずっと幸せになろうとする心構えと行動がより重要になります。

■家相・風水の根拠
家相・風水の元となる伝説や考え方は、古代中国の中原で生まれました。5000年前から前漢の間に、黄河中流域の咸陽や長安辺りでつくられました。大河があるとはいえ、大陸奥地で南東臨海部の東南アジアモンスーン地域と風土的に違うところで生まれています。基本となった伝説や考え方は、いくつかあります。
① 伏羲(ふぎ、ふっき)の河図(かと)・・・古代中国神話に登場する伝説上の帝王が、黄河に現れた龍馬の背模様から表わした図で、易の八卦の元になりました。
② 四神思想・・・大地の四方の方角を司る霊獣=四神にふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相です。春秋戦国時代に都邑建設に考えられたものでしょうか。
③ 陰陽五行説・・・春秋戦国時代に発生した説で、複雑な事象を説明します。
④ 十干十二支・・・起源は商(殷)代の中国に遡り、のちに陰陽五行説と結びつきます。
⑤ 周易(しゅうえき)・・・儒教の経典である五経(詩経・書経・易経・礼経・春秋)の易経の繋辞伝(漢時代の注釈書)、伝説の卜筮の書です。儒教といえば孔子を思い浮かべますが、五経の成立は孔子の死後三百数十年も経った前漢の武帝の時代であり、孔子の言葉ではありません。
⑥ 気学・・・園田真次郎が干支九星術と易を下に1924年に創始した日本生まれの占術です。日本独自の家相も体系化しました。
緻密に体系化された家相・風でも、すべて占いです。「当たるも八卦当たらぬも八卦」と楽しむものです。信じれば救われ、です。

■迷信・占いの流行り
司馬遼太郎著「この国のかたち六」<随想集>の『旅の効用』の一部です。
「といって、この大衆社会の正体がわかっているわけでもない。ただ、正体を構成する無数の要素のなかに、未開時代からひきずっている感情もあるらしい、と気づいている。たとえば、仏教や陰陽五行説などに仮託したさまざまな迷信あるいは現世利益宗教の氾濫、また手相、四柱推命、星座占いなどの流行りなどは、戦前にはなかった。まして文明度の高かった江戸時代にはわずかしかなかった。この大衆社会にあっては、未開帰りの要素も高いのではないか。」
「繰り返すようだが、都市にあっては、村とちがい、個が一人ずつ切り放されてほうり出されている。方途はつねに自分がきめねばならず、水田農村のごとく単純な生産内容とはちがい、規準が多様で、必要な規準がつねに存在するとはかぎらない。その規準を探すのも個なのである。未開の闇に置きわすれた迷信でもひきだす以外にないではないか。」

今日、私たちはほとんど都市の中に個人として放り込まれます。科学が発達しいろいろなことがわかってきたのに、江戸時代より古代歴史上の伝説が頼るのは不思議です。

■家相の一例
家の南・真ん中には、玄関を避ける。なぜなら、家族が離れ離れになるから。理由は、九紫火星は、麗-火という文字で現わされ、麗は二匹の鹿で離れていくからと。ほぉー!
地方の農家の玄関はすべて南・真ん中玄関にある。だから、一家ばらばらになり、離村が続くと。
なるほど、じゃなくて、えっ?!
随分前に民族学者宮本常一の話を聞きました。村々の人が減って祭りがなくなった、のではなく、祭りがなくなって人々は出ていったのだ、と。こちらの方が、うーんと頷ける部分があります。

脇田 幸三

建築家 株式会社綜設計代表
岐阜市生れ 名古屋市在住
1989年11月綜設計設立
主に住宅・マンション・医院を設計
名古屋工業大学大学院修了
テーマ:“大きな人を育て、大きな人生を歩む”住まい
趣味:読書、朝のランニング